ご覧頂いている皆様へ

被災当日、事務所や自宅に戻るとテレビ、冷蔵庫、家具は何メートルも移動しグチャグチャになっていました。
ガラスや食器は粉々に割れ、天井は落ち、壁は剥がれていました。
地震直後、信号も電気も消え、仙台は異様な空気に包まれていました。
現場から会社へ戻る途中に見た光景から、未だ経験したこともない大惨事が自分達に起きた事を認識しました。


携帯も電話も完全に繋がらなくなり、安否確認も出来なくなりました。

翌日、連絡の取れない被災地の同僚宅へ向かい私が見た光景は信じがたいものでした。
まるで映画の中にいるような現実とは思えない変わり果てた街並みに、言葉を失いました。


街は水没し、破壊されていました。

連絡が取れず、古くからの知人の安否を確かめに石巻市雄勝町へも行きました。

45号線を仙台市、多賀城市、塩釜市、松島市、東松島市、矢本町、石巻市、河北町、雄勝町へと
ひたすら無事を祈り車を走らせました。
宮城県を支えてきた沿岸都市、地場産業は広範囲に渡って決定的なダメージを受けていました。


正直、「復興は無理かもしれない…宮城は立ち直れないかもしれない…」そう感じました。
甚大な被害は広範囲に広がっていて、もはや国や行政の力だけでは、再興は叶わないと確信にさえ至りました。


今の自分に一体何ができるのか?
私は、微々たる水とパンとお菓子を配ることしかできませんでした。
宮城県の復興の第一歩には、被災されたとはいえ、やはり、社長様、個人事業主の方々の力が必要なのです。

宮城はいま、震災の影響で雇用も動かず、経済も動かず、自宅待機の方が増えています。

私たちは、社長様、個人事業主様方に少しでも早く立ち上って頂き、一緒に東北の復興を目指したいと思っています。
そのために、全力で力になりたいと思っています。
その思いで、微力ながら支援活動を続けて参りました。
そして、一日一日と協力者が増えていったのです。

震災前は、軽いあいさつ程度の近所付き合いだった自宅マンションの隣人の方々は、 何時間も並んでお米を買い、おにぎりをにぎって私に託してくれました。
「一人でも多くの方に配ってください」と…。

震災により失ったものは計り知れません。
しかし、震災によって真実の助け合いの心が宮城に広がりました。

私は東北が!宮城が!大好きなのです。
私は神奈川で生まれ、秋田で育ち、仙台で就職しました。
この地で、かけがえない方々と出会いました。
今回の震災では知人も亡くなりました。

自分よりも困っている人がいたら手を差し伸べたいと思う心。
日本人の心は温かくて優しくて広くて深いものです。
今回の震災で多くの方々が、そのような想いを抱いていると思います。
国や行政を責める前に動ける者から微々たることでも構わないから、それぞれが出来ることから始めていくことが、復興への大きな第一歩となると信じています。


日本の未来を!東北の未来を!宮城の未来を!
みんなで力を合わせて取り戻したいと願っています。

一人はみんなのために!

みんなは一人のために!

東北復興支援団体 祈望 代表 金野文武

天井が落ち、壁が剥がれ落ちました

現場から事務所に戻るとサッシは開かなくなり、プリンターは2mも飛んでいました

橋が半分崩壊して町は孤立化

道路崩壊

津波被害

中学校の三階まで冠水。木造住宅は全滅

避難先だったこの小学校も、予想以上の津波の高さで3階まで冠水し3月28日現在、全校児童108人のうち7割が死亡もしくは不明

住宅地は全て冠水しました

一人、二人と協力者が増えて助け合いの輪が広がりました。物資は班長さんから、各家庭に平等に配布されました

避難所の班長さん達、男性はテントで寝ていました


復興市場 「被災地への支援物資を被災地の商店から購入できます」

被災地への支援物資を被災地の商店から
購入できます


震災以後の宮城県

被災者優先 敷金・礼金免除物件一覧

祈望へのリンクはこのオフィシャルバナーをご利用ください。
※このロゴおよびバナーは商業目的での利用は認めていません。




お問い合せ窓口 TEAM リカバリー 東北復興支援団体 祈望(きぼう)事務局:mailでのお問い合せはこちらから